恩義を忘れ私欲を貪り人と呼べるか🏴
2020・10・26(日)🌞真田幸村出丸城🏯跡に🐾
真田丸は1914年(慶長19年)大坂の役(冬の陣)に
おいて、豊臣方の真田信繁(幸村)が大阪城の平野口に構築した出城🏯である。
豊臣秀吉が築いた大阪城は、上町台地の北端に位置し周囲を淀川、大和川などに守られた堅城🏯であったが南方だけは平坦な台地に空堀を設けたのみで
防御が手薄であった。
信繁(幸村)は南からの攻勢を想定し平野口に独立独歩した出城🏯を築き自らが守備につくことにより
徳川方の攻撃を食い止めようとした。
12月4日早朝徳川方の前田利常、井伊直孝、松平忠直
らの軍勢が挑発に乗って攻撃を開始し、真田丸の戦いが行われる。ここで幸村は徳川方の兵を策によって多く引き込み、散々に撃ち破ることに成功した✨
構造🏯
東西180メートルほど、半円形の曲輪で出口は後方と西脇に位置、三方に堀、塀を配し外側には三重の柵を敷いた✨
真田氏の家紋
六連銭(六文銭)
真田家の家紋として名高く、六文銭と呼ばれてるが、これは仏説の六連銭に由来する家紋✨
銭六文を死者の棺に入れ、六地蔵に供える風習にのっとり不惜身命を唱える武士にとってふさわしい
旗印だった✨🏴
真田幸村の名言
⭐恩義を忘れ
私欲を貪り
人と呼るか
⭐夢をつかんだやつより
夢を追っているやつの方が
時に力を発揮する
👊✨その通りだと思う✨
真田幸村✨の生きざまがカッコいいね😃
真田信重(幸村)
徳川家康が唯一恐れた男
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